マラルメ・プロジェクトII「『イジチュール』の夜」
http://www.k-pac.org/performance/20110814.html
企画:浅田彰、渡邊守章
構成・演出:渡邊守章
朗読:渡邊守章、浅田彰
音楽・音響:坂本龍一
映像・美術:高谷史郎
ダンス:白井剛、寺田みさこ
日時:2011年8月14日(日) 16:00開演
会場:京都芸術劇場 春秋座
料金:一般3500円、シニア3200円、学生&ユース2500円、瓜生山学園生1000円
※瓜生山学園生は劇場チケットセンターのみの取扱い
※ユースは25歳以下、シニアは60歳以上
チケット:京都芸術劇場チケットセンター TEL:075-791-8240(平日10:00〜17:00)
お問い合せ:京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター TEL: 075-791-9207
昨年、『マラルメ全集』(全5冊、筑摩書房)の完結を記念して、19世紀フランスの詩人ステファヌ・マラルメのテクスト『半獣神の午後』と「エロディアード――舞台」をとりあげ、難解をもってなるマラルメの詩の身体的音楽性を、音楽と映像と朗読(フランス語と日本語)によって、春秋座舞台において検証する試みを行った。
この企画は、いわゆるワーク・イン・プログレスであり、今年度は『イジチュール』*に挑戦するが、この作品はまさに「キマイラ」つまり「頭が獅子で、胴が山羊、尾が龍で口から炎を吐く」という「存在し得ないもの」の喩に引かれる「幻想獣」のイメージにふさわしい。
『イジチュール(Igitur)』は、ラテン語で「かくて、従って」などを意味する副詞的接続詞だが、この哲学的小話では、みずからが「絶対」として自殺を企てる若者の名前であり、虚構設定の上では、マラルメの分身である。1860年代の後半、すでに悪化していたその神経障害は、文字を書いたり、語ったりすることが不可能な状態にまで立ち至っていた。それを乗り切るために、自らの存在論的な危機を主題に「虚構の物語」を書くことを思い立ち、そうすることで、言わば類似療法(オメオパティー)の戦略で、「毒ヲモッテ毒ヲ制ス(similia similibus)」べく、この哲学的小話を書いたのである。
定型詩(劇詩も含む)、散文詩以外の、「小話(コント)」という言語態(書き方)と、主題そのものの困難さが、詩人にこの「哲学的小話」を完成させなかったが、その没後、娘婿のエドモン・ボニオ博士が、遺稿の束の中から発掘し、1925年にガリマール社から刊行する。未完の、しかも未定稿を解読したものであるにもかかわらず、その断章の中から、「文学そのものの存在論」の最も先鋭な思考が煌いていて、爾来、モーリス・ブランショからジャック・デリダに至る20世紀文学の思考の最先端部が、そこに「書くこと」の根拠に関わる最も過激で深遠な思考を読み取ってきたから、文学創造を論じようとする者にとって『イジチュール』は、避けては通れないテクストとなったのだった。
今年度は昨年の経験を受けて、渡邊守章と浅田彰による朗読、坂本龍一による音楽・音響、高谷史郎による映像・美術に加え、白井剛・寺田みさこのダンスも加わり、一層創り込んだ舞台を立ち上げる予定である。