日仏演劇協会 公式ブログ

日仏演劇協会公式ブログ le blog officiel de la Société Franco-Japonaise de Théâtre

横浜フランスダンスクロス 2010(Red Brick Contemporary Dance File vol.14)

http://www.institut.jp/sites/default/files/download/programmeMF2010.pdf
http://www.institut.jp/ja/evenements/9814
マルタ・イスキエルド(Marta Izquierdo)「Sirène 人魚」
フランソワ・グリポ(François Grippeau)「33分前後…」
日時:6月20日(日)15時
会場:横浜赤レンガ倉庫1号館
料金:一般3,500円(前売3,000円)、学生・会員2,500円(前売 2,000円)
お問合せ:横浜赤レンガ倉庫1号館(045-211-1515)、横浜日仏学院(045-201-1514)
主催:横浜日仏学院横浜赤レンガ倉庫1号館(公益財団法人横浜市芸術文化振興財団)

ヨーロッパを中心に活躍する、新進気鋭の振付家によるコンテンポラリーダンス公演。コミカルで奇天烈、それでも愛さずにはいられない登場人物「人魚」を演じるのは、フランス在住スペイン人振付家、マルタ・イスキエルド。一方、ジョン・ケージの哲学エッセー「無についてのレクチャー」の世界観を、身体を使って謳い上げるフランソワ・グリポー。ふたりの強烈な個性がお楽しみいただける、贅沢で刺激的なダンスプログラムです。

■アーティスト紹介
マルタ・イスキエルド Marta izquierdo ([lodudo] producción)
スペイン・マドリード出身、フランス在住。心理学を専攻、その後ダンスを始める。振付家カルメン・ワーナーのもと、プロのダンサーとしてヨーロッパや南アメリカで公演を行う。2002年にフランスに移り住む。カトリーヌ・ディヴェレスの主宰するレンヌ・ブルターニュ国立振付センターで活躍し、2007年にカンパニー[lodudo] producciónを創立。2008年には2つのソロ作品を制作。「She's Mine」はアヴィニョン国際演劇祭で、「Walking on Thin Ice」はブルターニュ国立劇場(レンヌ)の「Mettre en Scèneフェスティバル」で上演された。2008年、フランス政府文化交流機関Culturesfranceの助成プログラム「壁の外で」の研究給付を得て日本に滞在。砂山典子と渕上純子とのコラボレーション作品「Rojo」を制作する。音楽グループ「Marta & the Psycho Sons」でボーカリストパフォーマーとしても活躍。

フランソワ・グリポー François Grippeau (Association Quidam)   
振付家。1966年フランス・ナントに生まれる。1993年コンテンポラリー・ダンスの国家ディプロムを取得。2000年、カンパニー「Association Quidam」をナントに設立。2004年、DEC/OFF/RAGEを制作。「OFF」はジョン・ケージのテキスト「無についてのレクチャー」を題材にした、グリポーの最初の作品である。2005-2006年、ステファン・ポヴレと「CAMPING SAUVAGE」を制作。2007年、「51min et 49 sec, pas exactement」で再びジョン・ケージの「無についてのレクチャー」を扱う。この作品は観客と批評家の双方から高い評価を得て、カンパニーが国際的にも認められるきっかけとなった。Culturesfranceとナント市からの研究助成を得て、このたびステファン・ポヴレと共に来日。


■作品紹介
「33min.plus ou moins... 33分前後…」
ジョン・ケージの著名なテキスト「無についてのレクチャー」を扱ったパフォーマンス作品。フランソワ・グリポーの身体が、テキストの言葉のリズムにのってほとばしる。今回の横浜公演に合わせて制作されたステファン・ポヴレのイントロダクション・ビデオが、ケージのポエジーに対するもうひとつの解釈を加える。

「Sirène 人魚」
「この小さな人魚に、わたしは一人の人間の姿を見ます。自分の欲するものをひたすら追い求め、求めるものが自分に値していないことが見えない人間の姿を。彼女は絶望して傷つき、常に愛されたいと思っている。アンデルセンの童話とは違って、私の作品の人魚は海には戻らず、天空にも行かず、地上に残り愛のない人生を受け入れる。というのも、アンデルセンの元の童話は道徳的ですが、私はむしろそこから残酷さを表現したかったから。こどもたちに童話を話すときは、物事の善悪を示すためと考えられていますが、童話の残酷さが与える痛みを、わたしたちはどうするのかということに関心があったからです。」
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