日仏演劇協会 公式ブログ

日仏演劇協会公式ブログ le blog officiel de la Société Franco-Japonaise de Théâtre

美学会全国大会2008

第59回(抜粋)
http://www1.doshisha.ac.jp/~bigaku59/youshi/h_12_1_2.html
研究発表 10月12日(日)午前 第穸分科会「言語と芸術」(Z20教室)
井上由里子(大阪大学)「ノヴァリナの言葉の力――主体の問いをめぐって」

フランスの劇作家・演出家ヴァレール・ノヴァリナValère Novarina(1942年-)は1970年代以降、造語や言葉遊び、聖書などからの引用、ラブレー風の言葉の音楽性を利用した独特の創作を行っている。「ノヴァリナ語」とも呼ばれるこの難解な言葉は、単なる知的遊戯や形式的な言語実験として批判を受けることもあるが、現在ではフランス語のなかで起こった氾濫、溢れ尽きない新言語、想像力の極限という評価が定着しつつある。ノヴァリナは言葉の音響や語源さらには文献学的記憶に耳を傾けることで、情報の伝達を目的とする日常言語が織りなす意味の網目から言葉を解き放ち、夾雑だがそれゆえにこそ豊かな新しい網目を構築する。そこには、言葉への不信に彩られた不条理劇に対し、言葉の力に対する信頼にもとづいた新しい演劇の可能性を見出すことができる。
 本発表の目的は、主体という問いをめぐって『舞台 La Scène』(2003年)をはじめとするノヴァリナの主要作品を読むことで、その言葉の力を一端なりとも明らかにすることである。ここで主体とは「作者」、「登場人物」、「俳優」という演劇制作における三つの契機を意味する。具体的には「作者」の死にともなう言葉の自立、自己同一性の原理に従わない「登場人物」の非人称性、この登場人物と「俳優」という一個の身体との出会いが問題になる。つまり、ノヴァリナの演劇ではいずれの主体に関しても主体性の否認や犠牲が重要な課題になっている。本論では、登場人物を中心に考察を進める。登場人物は主体の問いが収束していく場であると同時に、ノヴァリナの先行研究および現代の演劇理論においていまだ解決されていない問題でもある。  言葉による主体的表現の不可能性に対峙しながら、それでもなお言葉によって何かを言おうとするときに用いられる手法として、たとえば「言い間違い」、「語の列挙」、「矛盾」、「意味の二重性」が挙げられる。こうした言葉からなる登場人物は社会的地位や性格や思想信条を代表する人物でも、無意識という自己の内にある他者に苛まれる人間でもない。この場合、現代演劇においてよく言われるように、登場人物とは「今、ここ」で台詞を発することで存在が保証され、発話しているときにのみ言語の効果として出現する存在である。しかし、ノヴァリナの演劇において重要な地位を占めるモノローグには孤独や死を嘆く断片的な人称性が残されており、そこでの登場人物については別の規定が必要とされる。登場人物は子ども時代の記憶や文献学的記憶、匿名の記憶、無意識の記憶といった記憶の断片からなるモザイク、だれのものでもない声の集まる「非人称の磁場」と考えることができる。